漢文の学習参考書ー前野直彬・藤堂明保・加地伸行ー

前野直彬 藤堂明保 小林信明 加地伸行

前野直彬『漢文入門』『精講 漢文』、藤堂明保『チャート式 漢文』、小林信明『漢文研究法』、加地伸行『関文法基礎』といった学習参考書の時代は、ハードカバーの時代であり、旧制高校の受験の路線である。漢文の根本原理から説き起こし、本格的な教養や記述を身に付ける、本格的な漢文を身に付けるのに、たいへん適していると言える。

長所としては、教養的であり、現在の教授資料としても使用できる点があげられる。教師用としての活用が期待できる。

短所としては、入試での点数とは程遠い体裁である。入試という観点で考えると、まずは句形ドリル形式ものを仕上げてから教養書として読むのが受験生には適していると言えるであろう。

 

古文の学習参考書ー村上本二郎・石井秀夫ー

村上本二郎 石井秀夫 土屋博映 富井健二

高等学校と大学とをつなぐ予備校の現場でよく使用されたものとして、村上本二郎『古典文解釈の公式』(学研)や石井秀夫『古文の核心』(学研)の著作があげられる。東京教育大学(現筑波大学)の流れのものである。この系譜は佐伯梅友小西甚一という碩学の影響下の薫陶を受けたものであるということである。わかりやすく示したのが土屋博映『土屋の古文単語二二二』『土屋の古文公式二二二』『土屋の古文常識二二二』(代々木ライブラリー)のシリーズである。

長所としては、文法と読解のバランスを重視したものといえる。さらには、ルール化することで、視覚的に捉えやすくしたという側面がある。

短所としては、ルールの細分化を行い過ぎたため、普通に読むことが軽視されがちになるという欠点がある。

 

小論文の学習参考書

吉岡友治の著作は、大学入試のみならず、法科大学院入試、公務員試験、社会人向けにも発信しているもので、非常に汎用性が高いシカゴスタイルを取っている。シカゴスタイルの特徴は、論証に力を入れるという特徴がある。

長所としては、論証型を重視するので説得力があるということである。小論文という科目の汎用性が高いため、ビジネスマンにも有効である。

例文に奇をてらうものも複数収録されているため、浮かびにくい発想もあるが、ある程度の社会学的な知識有した上で読むと威力を発揮すると考えられる。

 

現代文の学習参考書-堀木博礼・田村秀行-

堀木博礼 田村秀行 酒井敏行 霜栄 船口明

この四人は、基本方針は同じである。つまり、内容を論理的に読解し、開放へのアプローチを明確に示すということである。堀木博礼と霜栄は内容読解重視、田村秀行と酒井敏行は設問アプローチ重視と言える。船口明は、その中間と言えるであろう。現在の予備校の現代文の読解と解法の基本路線は、この四人でほぼ完成したといってもよいほど、影響力がある。

長所としては、設問へのアプローチが明解であるということである。内容読解と設問とのバランスが非常に取れている点があげられ、読解と切れ味鋭い解法と言えるであろう。

短所としては、理系的発想も随所にみられるので、このように細かく読解や設問のアプローチが苦手というタイプには不向きである。読むことの楽しさを満喫したいタイプには向かないであろう。

 

現代文の学習参考書-高田瑞穂・石原千秋-

高田瑞穂 石原千秋

『新釈現代文』(新塔社・ちくま学芸文庫)という、現代文の学習参考書の大ベストセラーを書いたのは、高田瑞穂である。専門は、近代文学でした。国文学科と哲学科の両方を卒業した人物で、成城大学の教授でした。教養を中心とした内容である。旧制高校の受験の頃を想定して書かれており、主に記述問題が中心という感じです。高田瑞穂の教え子である石原千秋は、この路線で『教養としての大学受験国語』『大学受験のための小説講義』(ちくま新書)を執筆し、広く読まれた。入試問題の出題者が書いたということで、一般に読まれ、高等学校や予備校の業界にも影響を与えたものである。

長所としては、大学の教員はどのようなことを考えて出題しているのかがわかるということがあげられる。現代文を読むときの教養の重要さを説いたものであると言える。入試問題を解くテクニックに疑問を投げかけるタイプの参考書である。現代文を読みながら、教養を高めるための豊富な参考文献を挙げているので、現代文と教養を結び付けた有意義なものである。

短所としては、旧制高校の受験を意識しているため、大学生が読むにはよいが、果たして入試で役立つかどうか、という問題がある。これらは一試論として現場の教員が読んで、その長所をみていくのに適していると言える。また、教養を述べているので、解答・解説の水準が現在の予備校の水準ではないので、点数を上げるには不向きである。

 

国語の学習参考書の種類

国語の学習参考書の種類・選び方・活かし方

 

国語の学習参考書は、ハードカバーからソフトカバーに変化した。また、著者も教養主義旧制高校向けであり、大学教員が主な執筆者であったハードカバーの時代が変化していった。その契機になったのは、実況中継版の出現あたりである。旺文社ラジオ講座という番組があり、そのテープ版や活字版が発売されるようになった。その発想の中から生まれたのが、旺文社の『現代文標準問題精講義』・『古文標準問題精講』・『漢文標準問題精講』といったシリーズであろう。そして、「〇〇の実況中継」というタイトルの書籍が語学春秋社から発売されたあたりから、ソフトカバーがハードカバーを駆逐したといえるであろう。国語の場合には、代々木ライブラリーから、『田村の現代文講義』『田村の小論文講義』『土屋の古文講義』などのシリーズが出て、それまでの、旧制高校を受験の趣の備えた『新釈現代文』(新塔社)、『古文研究法』(洛陽社)、『漢文研究法』(洛陽社)などの教養的な学習参考書は、評価は高かったものの、完全に時代に合わなくなり、それぞれ出版社も倒産してしまった。このように、苦手な場合には講義・実況中継型の参考書を使用することになった。

或る程度、苦手意識がなくなったら、問題慣れをするためには、ドリル・練習問題型がよいのはいうまでもない。そのドリルとしては、旺文社の『小論文ミニマム攻略法』・『漢文ミニマム攻略法』などは、旺文社ラジオ講座の長所を生かしたもので、入試に焦点を絞った適切な解説を施したドリルタイプであった。それに対して日栄社の『古文の演習ノート』・『漢文の基本ノート』は、解説というよりも典型的なドリルであった。この旺文社と日栄社の長所を生かしたタイプとして、河合出版の『頻出漢字と基礎知識』・『古典文法基礎ドリル』・『古典文法トレーニング』・『漢文句形ドリルと演習』があげられ、現在のドリルの模範的な形式が定まった。

テニスン『国王牧歌』

 

テニスン『国王牧歌』

 

本稿では、Alfled Tennyson ,Idylls of the King (2016)Createspace Independent Pubをテキストにして、ヴィクトリア王朝での意義について述べる。テニスン(1809-1892)の活躍した時代は、ヴィクトリア朝の時代とほぼ重なる。テニスンの83年の生涯は、19世紀で、ヴィクトリア朝のほとんどすべての期間にまたがるものである。

テニスン以前は、イギリスのロマン主義の時代であり、ワーズワース、コウルリッジ、バイロンシェリー、キーツなどの個性あふれる詩人の活躍した画期的かつ特異な時代であった。このロマン派の終焉を迎えようとしていたのが1830年代であり、ヴィクトリア女王(1819-1901)の即位が1837年である。テニスンは、ブラウニングとともに、このヴィクトリア朝を代表とする詩人である。その思想はヴィクトリア朝の代表的なもので、その思想や感情は女王の帝国を正当に代表するものである。それは、Idylls of the King(『国王牧歌』)に代表される。テニスンの詩に見られる思想について、西脇順三郎(1977)は以下のように述べている。

 

その絵画的感覚もその音楽的感覚も優秀なものであった。またその自然描写は特に優れている。彼の人間観・世界観は、非科学的自然観も認め、その一方では宗教的信念も捨てず、すべて神の世界から出発していたひとつの中庸説である。彼は人間の進化とか完全性ということを信じた。・・〈中略〉・・彼の思想は当時の代表的なものであった。英国の中央の思想を代表しているもので、Shelley如き革命思想とは遥かに遠いものである。今日ではTennysonの詩人としての使命はその思想ではなく、その芸術である。その美的感性の優れていること、その作詩上の技巧の正確なことなどである。その中庸を得た正確な明瞭な質朴な表現美は、特に優雅な完全な手法の美ということになっている。その細かい描法はpre-Raphaeliteという画風を思わしめるものである。(pp.121-122)

 

テニスンは、1827年1830年1832年と詩集を刊行し、10年の沈黙を経て、『1842年詩集』を出版した。この作品で、テニスンは当代一流の詩人としてその地位を確立した。その後、1850年に、イギリス文学史上、最長・最大の挽歌である、『イン・メモリアム』を刊行し、この年にワーズワースが亡くなり、桂冠詩人と評されるに至った。この年は、まさに世代交代である。

西前美巳(2003)は、以下の四つの特色を指摘している。

 

1.作品の量の豊富さが挙げられる。創作した詩は、英国詩人の中でも、屈指の豊富さと多様ぶりを誇っている。

2.テニスンの詩風は、ロマン主義の詩風の名残をとどめながらも、ヴィクトリア朝特有の時代感覚に反応しながら、テニスン独自の美感、想像の豊麗さ、斬新な描写、荘重典雅な格調を確立している。

3.発想の奔流に身を任せるのではなく、その詩風は整然として静的であり、素直な秩序のある、そして柔軟な美しさの樹立を目指して努力を惜しまなかった。

4.テニスンは一時代の国法的な存在でありながらも、身構えたような宗教、道徳の思想家としでてはなく、ミルトン、グレイなどと同様、洗練された英語の韻律美を中心とした言語芸術家としての特質をもっていた。

 

2に注目してみると、“The Coming of Arthur”の以下の箇所は、孤独な王という立場から、人生の意義について、星や大地に思いを巡らせ、壮大に描いている。ここには、ヴィクトリア女王の心情的な孤独も重ね合わされるとも読める。

 

What happiness to reign a lonely king.

Vext-O ye stars that shudder over me,

O earth that soundest hollow under me,

Vext with waste dreams?

 

3に注目してみると、“The Coming of Arthur”の以下の箇所は、一見すると征服、平定したようにみえ、ヴィクトリア朝帝国主義的なものを彷彿とさせるが、やがて運命の流れに大きく左右される前の一時的な静的な状態を“for a space”という表現で示している。

 

And Arthur and his knighthood for a space

Were all one will, and through that strength the King

Drew in the petty princedoms under him,

Fought, and in twelve great battles overcame

The heathen hordes, and made a realm and reigned.

 

4に注目してみると、“The Coming of Arthur”は以下のように、長母音、二重母音、K音の子音を多用していることがわかる。この点について、西前美巳(1992)は、「エキゾチックな語感をもつ長い音節語の固有名詞を並べて、広い範囲にわたる諸国の首領たちを平伏させるアーサーの意気を巧みに表白している」(p.488)と評している。ここには、ヴィクトリア朝の隆盛が重ね合わされているようにも見える。

 

And mightier of his hands with every blow,

And leading all his knighthood threw the kings

Carados, Urien, Cradlemont of Wales,

Claudias, and Clariance of Northumberland,

The King Brandagoras of Latamgor,

With Anguisant of Erin, Morganore,

And Lot of Orkney.

 

テニスンは、幼少のころからアーサー王様の文学については、あらゆる詩の主題の中で最も大きいものと称したほどに魅了されたものである。その熱意は、20代のころにアーサー王物語の作品を4篇成したほどである。それらを踏まえた、Idylls of the King(『国王牧歌』)は、1859年7月に刊行された。その時テニスンは50歳である。テニスンIdylls of the King(『国王牧歌』)は、全12巻の大作であり、中世的ロマンスを題材としている。西脇順三郎(1977)は、「そこには、人間の理念や帝国主義的な理想も含まれている」(p.121)と評している。

“The Passing of Arthur”の末尾は、以下のようにベディヴィア卿がアーサー王を乗せた屋形船を見送る場面であるが、“saw,・・Or thought he saw”のように言い直している点を西前美巳(2003)は、「この王の未来帰還説を前提としている中世の伝説をも考慮に入れた筆致と言えないだろうか」(p.579)と述べている。他に、末尾の光、新しく太陽が昇る場面に、ヴィクトリア朝後期にあたり、新旧交代しても、永遠の繁栄が子々孫々続いていくという理想を重ね合併せているとみることもできるのではないだろうか。ここに、テニスンの詩想の背景にヴィクトリア朝の意味合いが映し出されていると見ることもできる。

 

Thereat once more he moved about, and clomb

Even to the highest he could climb, and saw,

Straining his eyes beneath an arch of hand,

Or thought he saw, the speck that bare the King,

Down that long water opening on the deep

Somewhere far off, pass on and on, and go

From less to less and vanish into light.

And the new sun rose bringing the new year.

 

西前美巳(2003)は、初期の四篇の関係詩は、どれもこの牧歌のプレリュードにあたり、実験的要素を持つとしている。これは、テニスンが中世アーサー王文学への精通ぶりがわかる作品である。また、どれほどアーサー王伝説を詩的に再創造するために、いかに精通・専心していたかを示す格好の作品である。

1859年に刊行された段階では「全十二巻一万行」ではなく、版を重ねるごとに手が加えられ、10年後の1869年の新版で大幅に増補され、1874年に現在の総詩行一万余という一大叙事詩が完成した。1831年に「シャロット」で本格的にアーサー王文学の口火を切って以来の50年という歳月をかけて完成された長編詩である。ほとばしるエネルギー、愛着の深さを感じずにはいられない。しかし、このヴィクトリア朝の倫理観に即してアーサー王伝説をうたった、情熱をこめた作品に対して、斎藤勇(1957)は以下のように批判している。

 

これはTennysonの最も自信ある大作であるにも拘わらず、中心思想であるVictorian moralityの因襲的なこと、TristramやGawainの性格を中世の伝説におけるよりも甚だしく堕落させていることなど、大きな欠点がある。故に作中大いにすぐれた箇所が少なからず、かつLancelot及びElaine(“Lily maid of Astolat”)の如き溌剌たる人物描写の挿入があるにも拘わらず、成功の作ではない。作者が性格描写に長じていないため、Arthurは儒者風の堅苦しい考え方に囚われて夫らしさがなく、またVivienは嘲笑の権化であるという風に、一二の人物を除けば、人形同然となっている。その上、Tennysonの通弊として、この作も各巻を通じて構成的統一に乏しい。一体、TennysonもBrowningも、当時の小説家と競争するかのように長い詩を書いたのは、遺憾なことである。(pp.408-409)

 

齋藤勇(1957)の長篇詩を書いたことへの批判は、厳しすぎ、過小評価ではないだろうか。儒者風とはいうが、In Memoriamという広く読まれた長篇詩を手掛けた、テニスンの情熱は人々の心に共鳴したことも勘案したほうがよいであろう。逆にいえば、それだけ売り上げもあり、影響力も強かったことの裏返しともいえるであろう。

テニスンIdylls of the King(『国王牧歌』)は、ヴィクトリア朝後期は、それまで「世界の工場」として君臨してきたイギリスが、慢性不況に陥り、工業製品等の工業の低下になった時期である。その世相を反映し、アーサー王に、帝国主義、永遠の繁栄の持続、未来帰還説を含ませ、新旧交代の未来永劫を重ね合わせているとみることができるのではないだろうか。

 

(参考文献)

神山妙子編(1989)『はじめて学ぶイギリス文学史ミネルヴァ書房

斎藤勇(1957)『イギリス文学史』研究社

西前美巳(1991)『テニスンの詩想-ヴィクトリア朝期・時代代弁者としての詩人論』桐原書店

西前美巳(2003)「作品解説」『対訳 テニスン詩集』岩波文庫

西脇順三郎(1977)『近世英文学史慶應義塾大学通信教育部