栃木の方言

○栃木  世渡り上手・お人好し・地味・まじめ・粘り強さ・行動力・

洗濯物を取り込むことを「(洗濯物を)こむ」という。

足利方言・西部方言・中部方言・東部方言に分けられる。

「イ」と「エ」に発音の差がない。

げんざんぼ とんぼ

じりめ せみ

じぶくれやま 丘

はか 植えた早苗の一列

たろーじ 田植えのときに苗を配る人

さなぶり 田植えが終わったお祝い

おけーはく おせじ

きどころね うたたね

せーふる ふろ

ねんじこんじ もじもじする様子

はなぐら いびき

だいじ だいじょうぶ

いじやける 腹が立つ

でれすけ ろくでなし

あったらもん 大事なもの

いかんべえ いいでしょう

そばえる あまえる

すずねー ぞくぞくする

茨城県の方言

○茨城  骨っぽい・理屈っぽい・おこりっぽい・親切・反骨精神・

あおあざを「あおなじみ」という。

関東地方と東北地方の影響

「べーべーことば」を使う

目上に敬語を使う習慣がない

あおなじみ 青あざ

かんまーす かきまわす

よっこより よりみち

ひでーなし くだらないこと

ほげほげ まんぷく

だっぺ だろう

ごじゃっぺ でたらめ

かっぽる なげる・すてる

いじやける 腹が立つ

えしけー 品質が悪い

まじらっぽえ まぶしい

しみじみ しっかり

福島方言

○福島  勤勉・忍耐・頑張り屋・地味・文化的関心や学問への関心が高い・人間関係を重視・

「見たことある?」を「見たときある?」という。

浜通り方言、中通り方言、会津方言に分けられる。

はなど 鼻

ざかき 牡蠣

いぐべー 行くだろう

くっぺー 来るだろう

こえー くたびれた

ごじはん 間食

とろっぺ たびたび

にしゃ あなた

わが わたし

さすけねー だいじょうぶ

あぐど かかと

かんかち やけど

ごせやげる 腹が立つ

ひまだれ 時間つぶし

ほまち へそくり

おんつぁれる しかられる

山形県の方言

○山形  積極的・大胆・冒険心・人情家・勤勉・忍耐・頑張り屋・

「まるいち①」を「いちまる」という。

日本海側の庄内方言と内陸方言とに分けられる。内陸方言にはアクセントがない。

うるげる ふやける

ぬだばる 腹ばいになる

たがく 持つ

かちゃばく ひっかく

あがすけ 生意気・お調子者

ごしゃく おこる

むがさり 結婚式・花嫁

やばうい ぬれて気持ち悪い

おしょうしな はずかしい

わらわら 急いで

ととこ にわとり

じょーさね かんたんだ

もっけだ きのどくだ

まよう べんしょうする

こちょひて くすぐったい

うるがす ひたす

秋田県の方言

○秋田  粘り強い・仲間意識強い・人付き合いがよい・陽気で明るい・研究意欲が盛ん・

完成させることを「でかした」という。

北部方言・中部方言・南部方言に分かれる。「イ」と「エ」、「シ」と「ス」、「チ」と「ツ」、「ジ」と「ズ」の区別がない。

おんじょかする おどかす

じゅっぷがする あきあきする

のさばる あまえる

めんけ かわいい

どでんした びっくりした

がっこ つけもの

べば おしょし

おしょし はずかしい

やざねえ だめだ

もんぞ ねごと

たまし ゆうれい

しぇんち 便所

さい あっしまった

はらつえ まんぷく

おんざる おいでになる

リベラルアーツ

1.リベラルアーツ(教養)・・教養の歴史と教養学部・・

現在では、教養学部リベラルアーツ学部)は、2000年前後の改革で、東京大学埼玉大学・秋田国際教養大学放送大学くらいにしか設置されておらず、たいていの大学では、大学1・2年生の科目で総合科目・一般教養科目の名称で教養課程が置かれている程度になっています。では本来、教養とは何でしょうか。

教養(リバラルアーツ)の歴史を辿ると、西洋に遡ります。リベラルとは「自由」、アーツとは「技術・学問・芸術」を意味します。総合すると、「人間を自由にする学問」という意味になります。西洋には、ギリシア・ローマの時代以来、「リベラルアーツ」という概念があります。西欧の特徴は、教会の外側に世俗の学問が発達したことです。その学問は、医学、数学(幾何学)、法学、哲学です。また、聖書の翻訳が行われましたが、ドイツ語、フランス語、ドイツ語は世俗語とされたため、西欧の伝統校ではギリシア語とラテン語を教えていました。

リベラルアーツとは、ギリシア・ローマに源流を持ち、ヨーロッパの大学で学問の基本だとみなされた7科目のことを指します。これは、一人前に人間が備えておくべき教養のことで、「算術」「幾何」「天文学」「音楽」「文法学」「修辞学」「論理学」の7つの分野から成り立ちます。人間を奴隷ではなく、自由人にする7つの学問という、もともとの意味合いで、「自由7科」とも言われています。リベラルアーツは、19世紀から20世紀のまで、このリベラルアーツを必ず教えることになっていました。今日でもヨーロッパやアメリカでは受け継がれており、ヨーロッパの人々が、「広く、ある程度深い知識」を見につけているのは、リベラルアーツの伝統に即していると考えられます。

 池上彰さん(東京工業大学特任教授)は、「現代の教養とは自分自身を知ることである」として、現代の自由7科として以下のものをあげています。

 

現代のリベラルアーツ「現代の自由7科」・・池上彰・・

1.宗教 2.宇宙 3.人類の旅路 4.人間と病気

5.経済学 6.歴史 7.日本と日本人

 

 これらを見ると、自分自身を知るための考察に力点が置かれていると言え、アイデンティティの確立に役立つという印象を受けます。

 

2.資格取得とリベラルアーツ

近年、ビジネス教育の一環としての資格取得に興味を示すケースが増えてきています。資格試験の勉強は、追い込んでいるので〆切効果で本気で勉強できる、資格取得の勉強で話題が増える、などのメリットがあります。主に仕事で必要である資格取得、趣味や興味のある分野での資格取得とがあります。

文学部であれば、教員免許、日本語教育能力検定試験、司書教諭などは仕事で必要になる資格取得になるかもしれませんし、食品衛生責任者管、ビジネスメンタルヘルスメネジメント検定Ⅱ種・Ⅲ種も、それに関連したものであると言えます。

現代のビジネススキルとして、本田健さん(税理士・作家)は以下の項目をあげています。

 

ビジネス教養スキル「人生12科目」・・本田健・・

1.健康 2.人間関係 3.心理学 4.発想法
5.時間管理 6.人脈術 7.金銭管理 8.ビジネス
9.目標達成術 10.整理整頓術 11.速読術 12.情報処理術

 

これらを見ると、情報処理、人間関係コミュニケーション能力、健康、大局的な人生設計など現実に即したものを習得していくことの大切さを説いたものと考えることができます。

 

3.学びのスタイル

授業のスタイルとして、対話型としてプラトン型、講義型としてアリストテレス型というものがあります。対話型とは、教える側と学ぶ側とが対話形式で進めるものです。東洋でも儒教の祖である孔子も、このスタイルでした。現在のゼミや演習、アクティヴラーニングなどもこの形式に該当すると考えられます。それに対してアリストテレス型は、黒板を背にして一斉授業の講義形式を行った最初として知られています。日本の近世でも演習形式と講義形式とが併用されていましたが、本居宣長は講義形式が中心であったようです。

筆授(ひつじゅ)と面授(めんじゅ)ということばがあります。筆授は、本で学ぶことです。これに対して面授は、実際の講義や演習で学ぶ形式です。このように、本での学びと授業・演習での学びが重要であると言えます。他に、書物の学問と耳学問ということばもあります。耳学問は、個人的に勉強会・座談会・研究会などの仲間との話の中から情報を得ていくという方法です。私自身も、土曜日・日曜日を中心に開催されている研究会(zoom開催も含)などのディスカッションでは、いろいろな話を聞くことができて刺激されることが多くあります。

 

4.複眼的思考と失敗学

苅谷剛彦さんの『複眼的思考』と畑山洋太郎さんの『失敗学』は、示唆に富んだものです。一つのテーマのものでも、いくつかの異なる視点で書かれたものを読み比べることが複眼的思考であり、失敗と考えずに、その都度修正を施していき、フィードバックするというのが失敗学の基本です。これは、学びにおいても基本といえます。たとえば、同じ項目でも異なる専門的な辞典で読み比べると、視点が異なることがわかりますし、発表などでコメントをもらうことで、修正しフィードバックできます。このように物事の基本を示しているので、学問分野だけではなく、ビジネスの世界でもこの二つの考え方は重要です。

 

5.高校での学びと大学・大学院での学びの比較・・学問の三分野・・

高校に限らず、小学校から中学校といった学校での授業はすべてまとめて「科目」と呼ばれています。

「国語」「数学」「英語」「理科」「社会」に始まり、高校では理科や社会がさらに細分化され、理科は物理・化学・生物・地学など、社会は世界史・日本史・地理・倫理・政治経済などになっています。

しかし、大学には「科目」はありません。あるのはそう、「学問」です。人文科学・社会科学・自然科学という大きく3つのカテゴリーに区分されています。心理学や認知科学のように学際型で横断している科目もありますが、主に以下のような科目が所属するとされています。

 

a.人文科学は、哲学・人類学・言語学・文学・宗教学など

b.社会科学は、政治学社会学・経済学・歴史学・地理学など

c.自然科学は、数学、生物学、物理学、地球科学、化学など

 

学問が共通して持つ特徴としては、「問題意識」「真理の探求」「創造性」の3つがあげられます。この3つが大学で求められるものです。

第一の問題意識についてですが、テストといった答えありきの問題を「解く」のではなく、大学では「自ら」が問題を設定する必要が優先されるからです。その自分で疑問に思った点を調べていくということが重要になります。

第二の真理の探求についてですが、ここでいう「真理」とは、本質をつかむような方向性を追究していくことを示します。哲学とは何か、という問いに対して「真理の探究」というように回答することがよくありますが、そのことを示しています。

第三に創造性についてですが、先行研究を踏まえた上で、新たな側面を見出したり、新しい技術を生み出したりする必要があります。

このように大学の学びは主体的に調べて考えていくことに価値があります。これらを踏まえたうえで、卒業論文に取り組むとよいと思います。

 

6.哲学・・ものの考え方・・

研究をするときに、物事の根本的な考え方を学ぶときの参考になるのが哲学です。中でも、データ分析を行う演繹法と、論理的に組み立てる帰納法は補完的によく使われます。哲学の主なトピックとしては、「存在論」「認識論」「言語論」「行為論」があげられます。「存在論」は客観というものを認めるかどうかという「実在」の有無に関連するので、日本語学の場合のモダリティの扱いに影響してくることが多いものです。つまり、人間の視点が介在するという意味では、本来的な客観は存在しないという立場に立つと、客観という用語が抹殺され、主観、共同主観(間主観)という捉え方になります。私が哲学の重要性を痛感したのは、研究会のときに、客観を認めない日本語学の研究者の方とのディスカッションのときでした。あまり深く考えずに客観という用語を使用していたために、主観した認めない研究者の方の論法が「事態把握」という捉え方をしており、ディスカッションが機能しなくなってしまいました。それ以来、岩波文庫の青版・黒版や中央公論社の世界の名著シリーズの哲学書を読み、哲学者の研究会にも参加するようにしたおかげで、哲学的思考のディスカッションは得意になりました。哲学の教養は、はやめに勉強しておくとよいと思います。

 真理の探究と哲学という意味で、個人的に興味のあるものがあります。それは『世界哲学史』と『哲学と宗教全史』です。『世界哲学史』は、東洋哲学の他に西洋哲学にも造詣の深い中島隆博さん(中国哲学者)の企画による、ちくま新書のシリーズで西洋哲学と東洋哲学とを網羅するもので話題になっています。中島隆博さんは特別講義でも、世界哲学の必要性を力説している方です。

それに対して、『哲学と宗教全史』は、ビジネス書として書かれたもので、広く社会人に読まれているベストセラーです。この著者の出口治明さん(立命館アジア太平洋大学学長)が、この『哲学と宗教全史』のコメントを公表しており、その内容が示唆的ですので、以下に掲載します。

 

哲学とは・・出口治明・・
「世界のすべてを考える学問」

 このような時代に、哲学や宗教は力になってくれるのでしょうか。新しい令和の時代を迎えた今、そのことについて原点に立ち戻って考えてみたいと思います。あるとき、哲学者になった僕の友人に、「なぜ哲学を専攻したのか」と尋ねたところ、彼は「世界のすべてを考える学問という点に惹かれた」と答えました。現代の学問は微に入り細を穿(うが)ち、あまりにもタコツボ化しているように思われます。世界をトータルに理解する必要性はますます高まっています。僕は歴史が大好きですが、人類の悠久の歴史を紐解いてみると、世界を丸ごと理解しようとチャレンジした無数の哲学者がいたことに気づかされます。同じような意味で、病(やまい)や老い、死などについて恐れ戦(おのの)く人々を丸ごと救おうとした宗教家もたくさんいました。『哲学と宗教全史』では、世界を丸ごと把握し、苦しんでいる世界中の人々を丸ごと救おうとした偉大な先達たちの思想や事績を、丸ごと皆さんに紹介したいと思っています。皆さんが世界を丸ごと理解しようとするときの参考になれば、著者としてこれほど嬉しいことはありません。歴史的事実として、哲学と宗教は「不即不離」の関係一方において、次のようにも考えました。さまざまなビジネスの世界で、仕事のヒントを与えてくれたり、仕事が行き詰まったときに新鮮な発想をもたらしてくれるのは、専門分野の知識やデータよりも、異質な世界の歴史や出来事であることが多いという事実を。この観点に立てば、人類の知の葛藤から生み出された哲学や宗教を学ぶことは、日常のビジネスの世界にとっても、有益となるのではないかと思うのです。『哲学と宗教全史』を執筆した目的の一つには、そのことも含まれています。哲学や宗教は、まだまだ人間の知の泉の一つであると思うのです。皆さんは、「哲学と宗教はかなり異なるのではないか」あるいは「哲学だけでいいのではないか」などと思われるかもしれません。この問いに対する答えは簡単です。イブン・スィーナー、トマス・アクィナス、カントなどの偉大な哲学者はすべて哲学と宗教の関係を紐解くことに多大の精力を注いできました。歴史的事実として、哲学と宗教は不即不離の関係にあるのです。

熊崎式姓名判断の源流

2021年12月5日(日)

(第31回)人体科学会・口頭発表資料

於zoom開催

 

熊崎式姓名判断の源流

―その批判的考察と言霊-

 

國學院大学兼任講師

大東文化大学非常勤講師

岡田 誠

 

【要旨】

現在、日本で主流を成している姓名判断の一つに、画数を基準とするものがあげられる。この漢字の画数の姓名判断は、熊崎健翁(1881-1961)の『姓名の神秘』(1929年・実業之日本社)にはじまると言われている。しかし、実際に熊崎健翁の『姓名の神秘』を精読してみると、主に五つの疑問点が出てくる。

第一に、先天運と後天運を設定しているが、「後天運」の捉え方が正しくなく、「先天運」の捉え方もあいまいである。第二に、無意識のうちに熊崎健翁は言霊の思想を継承している。第三に、古神道と十干との混合で成立しており、古代の数霊に吉凶を与える根拠に五行・十干を利用している。第四に、易の理論・陰陽の思想・四柱推命の正しい理解が行われていない。第五に、統計的に吉凶を示しておらず、単に有名人の例を示しており、何をもって「幸・不幸」「成功・失敗」であるのか不明である。

以上の点から、近代の画数の姓名判断の根拠は、最終的には言霊を前提とし、そこに推命学の十干を入れたものであるため、信憑性の面で疑問が残る。

 

0.はじめに

現在の日本で主流を成している姓名判断は、画数を基準とするものである。この考え方の軸となっている姓名判断は、昭和初期に熊崎健翁(1881-1961)が『姓名の神秘』(1929年・実業之日本社)を記してからであるとされ、熊崎式の画数解釈が継承されている(注1)。しかし、『姓名の神秘』を読み進めると、実際には易・十干・数霊・言霊の要素が強く意識されている。本発表では、熊崎健翁の『姓名の神秘』を精読することで、熊崎式姓名判断の源流を探るとともに、批判的な考察を試みる。なお、引用に際して、旧字は新字に改めた。

 

1.名乗り字と姓名判断の流れ

熊崎健翁以前の姓名判断については、公家・武家の成人男子の実名を示す「名乗り」が広く知られている。佐藤(2009)は、公家・武士の成人男子の実名を「名乗り字」とし、好字二字で訓読みする点を指摘している。字の選び方としては、元服の際、烏帽子親の一字を与えることもあったが、清和源氏(新田氏・足利氏も)の「義」、徳川氏の「家」など血縁によって同一字を含むもの(通字)、藤原道長の子孫の頼通・師実・師通・忠実・忠通・基実・基通のように上字は二代続け、下字は交互に同一字を用いる規則的な例や、嵯峨源氏の信・融のように例外的に一字名のものを紹介している。

また、佐藤(2009)は、平安時代末期の『色葉字類抄』(1144-1181ごろ成立)には「名字」として、他の漢字とは異質なものと意識されていたとし、鎌倉時代の『拾芥抄』『二中歴』、室町時代以降の『節用集』各書付録などの類聚があり、江戸時代には各種専書も刊行され、黒川春村『名乗指南』のような充実したものも現れたと述べている。その一方、「名乗り字」の反切帰字による吉凶判断や、五行説による相性占いが盛んになり、大陸の制度との関係、通字の存在、姓名判断の流行などをみても、研究上、言語生活史の視点から捉えることになるとしている(注2)。

 

2.熊崎健翁の略歴と姓名判断の特徴

近代の姓名判断は、現在では画数で行うのが主流になっている。この方法は熊崎健翁が創始したものである。下村・石川(2010)によると、46歳までの熊崎健翁は「熊崎式速記術」を完成し、それを活かして中京新聞・時事新報などの新聞社に勤務している。このように熊崎健翁の前半生は新聞記者であったが、昭和3年に運命学の鑑定所「五聖閣」を設立し、熊崎式姓名学で一世を風靡した後、「ヽ心道」(現在は「ヽ心會」)を主宰し、後半生は宗教家として活動した。

 

熊崎健翁の手がけた改名の例としては、作曲の「山田耕筰」(改名前は「山田耕作」)、「本居長豫」(改名前は「本居長世」)があげられる(注3)。若いころの熊崎健翁は、小学校の教員や新聞記者をしながら多くの講演を行っていたが、運命学(占い)に入った経緯を以下のように『易占の神秘』の序文で述べている。

 

今から五十年前、田舎新聞の主筆をしてゐた当時は、「当たるも八卦」どころか、「八卦は出鱈目」と決めつけてしまつて、色々な機会に講演などする折があれば、「易学の如きは唐人の寝言に過ぎない。真の運命開拓は自己の努力に依る他はない」などと少壮幼稚な衒気のままに、易学無用、迷信打破の弁舌を振つてゐたものである。ところが或る時、やはり同一趣旨の講演をしていた最中に、聴衆の中から「弁士に質問がある。易学は何故に迷信であるか、其の理由を明らかに示して貰いたい」と一矢を放つた者があつた。此の思いがけぬ一言は、いきなり著者の肺腑を突き刺して、そのまま講壇に立往生させたほど、痛烈に響く質問であつた。-それまで口を極めて罵倒冷殺して来たものの、正直のところ著者は、未だ易学に就いて何らの研究をしたことも無く、従つて可否の論拠も無しに、只徒らに之を迷信妄語と片付けてゐたからであつた。即ち当時の著者は該当の偽君子似非易者を見て、直ちに易断そのものまでも「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と片付ける一般大衆諸君と、その根本的態度に於いて些かも選ぶ処が無かつたわけである。然し、一般聴衆のために、非常に自尊心を傷つけられた著者は、其の夜の明け方まで、転輾反側して侮辱に苦しんだ揚句、「それならばよし! 飽くまでも易学の迷信たる根拠を闡明して、大々的に迷信打破の出直しをしてみせるぞ!」固く唇を噛みしめて決心すると、その翌日から、手に入る限りの易学書を読破し始めた。-これが、著者をして運命学の研究に着手せしめた第一歩であつた。「易は迷信である」といふ著者の初念は、巷間流布の易学書を読み漁つてゆくうちに、いよいよ確固不抜の信念となるかの如く見えたが、鹿を追つて林中に踏み入り、その広さを知るが如く、次第次第に、易の研究を深めてゆくと、著者は漸く深奥な易理の核心に通達することが出来たやうな気持がした。然し易理の核心に触れた著者が、そこで把握することが出来たのは、易の迷信たる根拠であるかといふに、否! 初めの目的とは反対に、「易は万古不変の哲理である」といふことを大悟せしめられ、広大無辺、玄妙幽遠な易学となつてゐたのである。(p.2)

 

昭和の初期に発売された熊崎健翁の『姓名の神秘』は姓名判断を学ぶ上では欠かすことのできない基本図書となっている。これは、下村・石川(2010)によると、『主婦之友』(1929年・新年号付録)に連載したものをまとめたもので、1929年から1931にかけて『主婦之友』と『婦人世界』に毎月連載していたという。(注4)。その姓名判断の特徴をまとめると以下のようになる。

 

○漢字にはすべて霊力が宿ると考えるので、戦前の漢和辞典の方式で、本字(旧字体)・原義で画数を計算する(基準は中国の『康煕字典』及び簡野道明『字源』)。

〇画数最優先であるため、字源がよくない文字でも許容する。

○陰陽の四文字の組み合わせを基本とするので1文字の名前や苗字の場合には仮数「1」を設定するが、総格には仮数は加えない。

○天格・人格・地格・総格・外格の中で、「人格」を重視する。

 

 以下、この熊崎式姓名判断の源流と批判的考察とを『姓名の神秘』の記述をもとに考察していくことにする。

 

3.熊崎健翁『姓名の神秘』の考察

3.1先天運と後天運

 熊崎式姓名判断の源流となるものは何であろうか。『易占の神秘』の序文から、易の思想であることはわかるが、それだけであろうか。熊崎健翁の『姓名の神秘』から引用しながら、具体的に批判と疑問点を示していく。下村・石川(2010)によると、熊崎健翁は高島易を学び、高島呑象の顧問に就任している。その易を根本原理として宗教団体「ヽ(ちゅ)心(しん)道(どう)」を主宰するほどであったという。そのことは以下の記述にも示されている。

 

  斯様に種類は多いけれども、何と云っても運命学の大本山は易学であります。易は運命学の本家本元であり、其権威格式実力神厳共に斬然として一頭地を抜いて居ります。易を知らずして運命学を論ずることは出来ません。先天運後天運を云々する推理学も、姓名学も、勿論易の理論に基づいたものであります。(p.14)。

 

しかし、易は陰陽が基本となるが、『姓名の神秘』の中では陰陽に関しては、強調される記述は見当たらない。先天運と後天運として、それぞれ推命学と姓名学をあげている。ここでの意味合いは、姓名は変更できるという意味で姓名学を後天運としてあげている。

 

人間の運命の最も性格なる判斷は、先天運と後天運との調和関係を其運位の進展しつつある機運を知るにあります。即ち先天運を見る推理学の欠陥を補ひて後天運の成敗利鈍を知る為めにどうしても茲に姓名学なるものが必要となつて来るのであります。姓名学と推理学とは、車の両輪の如しとは前に申しましたが、その一方を欠いては、決して用をなさず、真の人間の運命を観察することは出来ないのであります。(p.16)

 

しかし、序文(p.3)で、キルケゴールハイデガー実存主義をあげて「自己意識を象徴するものこそ、その人の姓名でなければなりません」(p.3)と述べている。この「後天運」の捉え方には疑問が残るところである。

3.2言霊の思想

 熊崎式姓名学の根拠として、日本の古神道の言霊・音霊と数霊のカタルシスの技法を引用して、その姓名判断の根拠としている。

 

斯く絶対不可侵なる数の真理は我国神代時代に於いても一二三四五六七八九十(ひふみよいむなやこと)と唱えて起死回生の神咒ともなり、哲学的に見れば数は空間現象を司り之に対し時間的神秘の零となり、零と数との関係が唯物と唯心との論拠となり、陰と陽との活現、顕と幽との徴象ともなり、其零の極致が絶対一元のヽに帰して天地万有の基本となり、神学的には霊象一元の宇宙創成神たる天御中主大神の御神号として天津ヽ神と崇仰し奉るのであります。信名の道啓立は茲に由来するのであります。(pp.18-19)

 

また、以下のように同姓同名であっても同じ運命にはならない理由を生年月日や家系や環境の違いであることも前提として述べている。しかし、この記述を行うのであれば、序文(p.3)で示しているように実存主義的であるため、画数による吉凶で輪切りにするのは、整合性に欠けるのではなかろうか。

 

併しながら姓名は、もともと人が勝手につけたものであり、また勝手に何遍でも通称を改め得るものであると共に、同じ名のものは同じ運命になるかといいふに、決してさうではありません。・・〈中略〉・・これは環境も異り、生年月日時間が異り、父祖の関係より生じる素質、人材、器局、共に根本的に先天運が相違してゐるのであります。ゆゑに同じ名前でも先天と後天との調和に差がありますから、結果もまた別々になるのは当然のことであります。(p.23)

 

近世に行われた音霊と名前の関係性については以下の記述から、あまり重視していないことがわかるが、画数以前に言霊・音霊が先行しているのではなかろうか。

 

要するに音霊暗示の制化生剋は極めて緻密周到なる対照を必要とする次第ですから専門家以外の初学者は余り之に重きを置く必要なく、只極めて軽き意味に於て数理判断の補足として観察するが宜しいのであります(pp.183-184)。

 

画数の数を重視しているにもかかわらず、十種の大祓を持ち出して、そこから数霊と十干を根拠に「数は即ち神なり」という結論を導き出している。この記述も、数霊以前の言霊を唱える点を無視しており、疑問が残る。

 

右の十種の大祓には、甲乙丙丁戊己庚辛壬癸の十干と一二三四五六七八九十の十種を唱えて祈れば寿命は永く、子孫繁栄して、神は永遠に護り給ふ旨を記されてあります。之を見ても、太古から一より十に至る数が真理の神として尊崇され信仰され、且又神秘的霊顕のあつたことが窺はれるのであります。私が『数は即ち神なり』と断定せる理由の一端は之にても会得が出来ようと思ひます。(p.65)

 

この記述から考えると、古神道の数霊の思想、さらに遡れば、数霊は言霊に通じる思想が推測される。そして十干を組み合わせているように推測される。ここには、無意識のうちに言霊の思想があると考えられる。

3.3易との関係

熊崎健翁の姓名判断の特徴は、易であると言われているが、四柱推命にしばしば言及しているように、周易ではなく五行易(断易)を採用しているようである。五行易(断易)の場合、周易に五行と十干の視点を加えていくのが特徴的である。しかし、熊崎健翁は爻辞を中心に見る高島易断を基本として採用しているため、五行易(断易)の方法を説いていない。そのように考えると、周易の「陰陽説」ではなく、漢代に行われた「陰陽五行説」の流れである推命学の天干を重視していると言える。

実際に名前の吉凶を判断する際は、最初に姓名を上記の五格に分解し、それぞれの画数を算出し、ついで、それぞれの格の吉凶をみていくが、その際に、数の吉凶を記した「霊数」を参考にすることになる。霊数とは1から81画までの画数の吉凶を記した数で、熊崎健翁が創出したものである。数の基本は、1から9までの基数であるところから、宇宙の万有は9と9の交錯する81の画数に収まる、と考えたようである。

熊崎式姓名判断では81の画数を設定するが、それは河図洛書に由来することが以下の記述からわかる。

 

易は基は河図洛書であり、河図洛書は卽ち數であつて、その一より九に至る基数は、永遠不滅、絶対不動の原理であるのであります。その九より九に至る八十一の交錯数が、姓名数理の根本となるのであります。(p.17)

 

しかし、9つの意味は解けるが、交錯するという理由での9×9で81とするのは、どのような根拠であろうか。9月9日は陽が重なるため「重陽」とするが、そこから来ているのであろうか。あるいは、友清歓(ともきよよし)真(さね)に代表される古神道の数霊の81から来ているのであろうか(注5)。

熊崎健翁の姓名判断の考え方では、数のなかで特に重要なのは第一位の位の1から9までの基数となり、それを以下のように説明している。


この九九八十一の数には、一々霊意霊力などといへば難しくなるが、砕いていへば、数の有する絶対不変の意義があるのです。たとへば一といふ数は天地の始め万有の基であつて、洋の東西、時の古今を論ぜず、月の世界でも、火星の社会でも一は一であつて、如何なる大学者も、如何なる政治家も、この根本を動かすことはできませぬ。ここにおいてか一に始むる、集むる等の霊意が生じ、自ら独立、単行、健全、発達、富貴、名誉、幸福等の暗示力が生まれて来ます。二は一を二つ合わせたもので、合せものは離れものといふ如く、分離の兆、不具、不完、不徹底等の誘導力を生じ、三は一の陽と二の陰と合して成形確定の数となり、権威と福徳とを兼ね、才謀知恵の暗示、成功富貴の誘導力を有するのは自明の理であります。また四は分裂、不完の二を二つ合せた数だけに、破壊滅裂の意、乱離衰亡の象となり、変化、困難、逆境、破滅の霊導力を発生し、五は一より九に至る基数の中心に位し、易の参天両地たる二の陰と三の陽と相合して成立した数でありますから、その霊意は自ら福寿、円満、豊厚、慈祥の誘導力となり、繁栄、有徳、栄誉、尊敬等の幸運をもたらすべき暗示力を生じるのであります。(pp.26-27)

 

11以降の数は、ほぼ1から10までの繰り返しが多いが、途中で若干の変化を加えている(pp.39-45)。傾向としては、吉凶を見てみると奇数は吉が多く、偶数は凶が多いという設定をしている(pp.70-71)。

漢字の画数は旧字体の『康煕字典』と『字源』に従ってなされ、天格と人格、人格と地格の関係などとの関連性を見るのが熊崎式姓名判断の特徴である(pp.28-30)。それは主に画数を五行(十干)に変換して行って相生の関係性を維持している。最初の1-10の数も、五行(十干)と関係付けた解釈であると見ることができる。古代文字は画数が確定していないのに、なぜ『康煕字典』を基準にしているのであろうか。また、天格という名字の画数は無視するが、血統運・先天運という点から考えると、天格は無視してよいものであろうか。

3.4十干と五行-陰陽五行説

四柱推命の鑑定家・研究家である八島(2021)は、熊崎式姓名判断と四柱推命との関連性の指摘をしている。その理由としては、十干に対応させる理論を熊崎式姓名判断では採用しているためである。具体的に示すと、以下のようになる。

  

  (木)

・甲(きのえ)=1

    ・乙(きのと)=2

  (火)

・丙(ひのえ)=3

    ・丁(ひのと)=4

  (土)

・戊(つちのえ)=5

    ・己(つちのと)=6

  (金)

・庚(かのえ)=7

    ・辛(かのと)=8

  (水)

・壬(みずのえ)=9

    ・癸(みずのと)=10

 

十干を、1から10の数字・画数に当てはめ、11以降の数字は1から10と同様に、同じパターンを繰り返しているようである。八島(2021)は、このパターンの傾向を、1=吉、2=凶、3=吉、4=凶、5と6=吉、7と8=吉凶、9と10=凶と推測し、以下のように五行と数との特徴をまとめている。

 

1=甲はまっすぐに伸びるという性質から吉である。
2=乙は柔弱にして繊細であるから凶。
3=丙は陽性の輝きであるから吉。
4=丁は陰性火であり凶。
5・6=戊・己は土の性質から信頼と安定感があり吉。
7・8=庚・辛は金の知力や意思の強さから吉と凶の両意。
9・10=壬・癸は水の性質から周囲に流されやすく怠情になりやすいから凶。

 

十干の象意と数霊を1から10に分類して解釈を施し、数の吉凶を考え出したと推測される。姓名判断のもとになる霊数は、基本として数字の吉凶が定めらており、陰陽思想で、陰が凶で陽が吉とするのは、本来の易の思想から逸脱するものではなかろうか(注6)。

この十干という発想は、大自然を基にしたものであるため、人工的な数字に置換するのは、どのような根拠に基づくものなのであろうか。本来的には、吉凶は実際に存在すると言えるのであろうか。さらには、古神道においての言霊・数霊で考えても、数字自体に吉凶という設定は必要なのであろうか。易の基本は周易であるが、その原典にあたる『易経』は森羅万象の動きを示すものであり、それが十干十二支と結びついて推命学に至る過程で五行易(断易)を生み出していることを考えると、易の本質を理解してないのではなかろうか。推命学と姓名学とを両輪とするのであれば、姓名学の理論に推命学の理論を使用しないほうがよいのではなかろうか。

 

結び

『姓名の神秘』を精読した結果、以下の点が問題であると考える。

第一に、先天運と後天運を設定しているが、その「後天運」の捉え方に疑問が残る。「先天運」の捉え方もあいまいで、それは「天格」を無視するところにも表れている。 

第二に、数霊という名のもとに、実質的には言霊の思想を導入している。それは「ヽ心道」という熊崎健翁主宰の宗教団体にも表れている。

第三に、古神道と十干との混合で成立しているという特徴がある。古代の数霊に吉凶を与える根拠に五行・十干を利用する根拠が見いだせない。

第四に、易の理論・陰陽の思想・四柱推命の正しい理解ではなく、姓名判断への安易な適用をしており、「陰陽説」と「五行説」とを混合した「陰陽五行説」を使用している。周易ではなく断易の発想であり、本来的な易の理解ではない

第五に、有名人などを取り上げて説明しているが、統計的に吉凶を示しておらず、何をもって「幸・不幸」「成功・失敗」であるのか不明である。

以上の点から、近代の画数の姓名判断の根拠は、最終的には言霊を前提とし、そこに推命学の十干を入れたものであるため、信憑性の面でも整合性の面で疑問が残る。画数の吉凶にこだわらず、本来的な周易と言霊という原点に立ち返って姓名判断を捉える必要があるのではないだろうか。

 

(注)

1

熊崎健翁以前にも画数の記述の文献はあるが、佐々木(1903)に代表されるように『磨光韻鏡』を基本とした音読みによる五行の分類が中心である。同時期の根本圓通の創始になる根本式は、佐々木盛夫と同様に本字に戻す操作を行わないが、地格と総画から導かれる画数による流年法を示したり、天格に意味付けを行ったりしている。しかし、その根底になるのは、音読みによる五行である点で熊崎健翁による本字の画数第一主義とは異なる。日本心霊科学協会では、根本式が採用されている。戦後になってからは、桑野燿斎が熊崎式で該当しない結果を踏まえて桑野式を創始している。桑野式は、熊崎派の五格以外に四格を加えて九格で判断し、仮数0と1を入れたり、「内画法」や漢字を新字で計算したりするなどの特徴が見られる。佐久間(1971)は、姓名判断の流派は主に7つとしているが、具体的には示していない。少なくとも、画数の流派としては、熊崎式、根本式、桑野式の三派が基本である。

2

佐藤(2009)は、「地名の好字二字化の詔(713))、「漢風諡号の一括撰進(762-4)」、「和気清麻呂別部穢麻呂への強制改名(769)」なども興味深い参考事項になると述べている。

3

金田一(1983)によると、本居長世は他に「本居一浩」という名前を使用していた時期もあったようである。

4

小林(2007)によると、熊崎健翁以前では、佐々木盛夫(1860-1903)が『報知新聞』(1901.3.29)に連載したのが嚆矢であり、これによって戦前の第一次姓名判断ブームを引き起こされており、佐々木盛夫の急死後、10数年経たのちに起きた第二次姓名判断ブームの時期に熊崎健翁は位置するという。佐々木の姓名学は、総画数、周易による引用の配置、『磨光韻鏡』による音の五行を示し、画数については軽く扱い実際に書く通りの画数を用いて、本字には戻す操作をしていない。

5

鎌田(1990)pp.231-256参照。音霊法・名霊法・数霊を言霊論の特徴と説明している。

6

八島(2021)は、「根底にある十干の思想じたいにも大きな問題がある」と述べている。

 

(引用文献)

熊崎健翁(1929)『姓名の神秘』実業之日本社【テキストは紀元書房(1951)増補改訂版による】.

熊崎健翁(1931)『易占の神秘』実業之日本社【テキストは紀元書房(1966)による】.

 

(参考文献)

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渡部温編(1977)『標註訂正・康煕字典講談社.

 

【謝辞】

 本発表に際して、田村夏紀(都留文科大学非常勤講師)から貴重なご意見をいただきました。御礼申し上げます。