文学作品と日本語学(1)
文学作品と日本語学(1)
上代文学
物語文学(平安時代)
【伝奇物語】
宇津保物語・・長編。源氏物語に影響。
落窪物語・・継子いじめ話。
【歌物語】
大和物語・・歌物語。前半が歌人の逸話、後半が説話的。
平中物語・・平貞文がモデル。「をこ」
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源氏物語・・平安時代の物語文学の最高傑作。紫式部。五十四帖。「もののあはれ」
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【源氏物語の影響】
堤中納言物語・・短編物語集。「このついで」「虫めづる姫君」「はいづみ」などを載録。
夜半の寝覚
浜松中納言物語
狭衣物語・・長編。
(平安)
和泉式部日記
讃岐典侍日記
(鎌倉)
十六夜日記・・阿仏尼
説話文学
(平安)
日本霊異記・・景戒。仏教説話。
三宝絵詞・・仏教説話。
(鎌倉)
宇治拾遺物語・・世俗説話。
発心集・・鴨長明。仏教説話。
十訓抄・・教訓書。
古今著聞集・・橘成季。世俗説話。
沙石集・・無住。仏教説話。
歴史物語
(平安)
大鏡・・紀伝体。大宅世継と夏山繁樹の語る昔話。藤原道長を批判。
(鎌倉)
今鏡
水鏡
(南北朝)
増鏡
軍記物語
(鎌倉)
平家物語・・仏教的無常観。和漢混交文。琵琶法師の平曲。
異本(源平盛衰記)
(南北朝)
(室町初期)
三大随筆
(平安時代)
後撰和歌集・・梨壺五人の撰。
(鎌倉時代)
新古今和歌集・・1205年。後鳥羽院の勅命。藤原定家らの撰。
私家集
金塊和歌集・・源実朝
歌謡集
2.資料-『万葉集』の表記-
「東野炎立所見而反見為者月西渡(『万葉集』・48)の訓み下し」の問題点
a.賀茂真淵の訓み下し
ひむがしののにかぎろひのたつみえてかへりみすればつきかたぶきぬ(万葉集・四八)
(東の野にかぎろひの立つ見えて返り見すれば月傾きぬ)
b.旧訓
あづまののけぶりたてたるところみてかへりみすればつきかたぶきぬ
(参考)
c.賀茂真淵の訓み下しの語法上の欠点
〇「見ゆ」が活用語を受ける場合には、「終止形+見ゆ」でないといけないのに、「野にかぎろひのの」の「の」を読み添えているために佐伯梅友(1938)『万葉語研究』(文学社)の説からすると、「―の―連体形」となり、「連体形+見ゆ」で、「立つ(連体形)見えて」になってしまっている。
〇「炎」を「かぎろひ」と訓んでいるが、「けぶり」ともよめる。
〇「月西渡」を「月傾きぬ」「月傾けり」「月は傾く」と訓んだり、あるいは表記をそのまま生かして、「月西渡る」ともよめる。
ひむがしののにはかぎろひたつみえてかへりみすればつきにしわたる
東の野にはかぎろひ立つ見えて返り見すれば月西渡る
e.佐佐木隆(1996)『上代語の構文と表記』(ひつじ書房)
ひむがしののらにけぶりはたつみえてかへりみすればつきかたぶきぬ
東の野らに煙は立つ見えて返り見すれば月傾きぬ
ただし、「月西渡」を、伊藤博(1983)『万葉集全注』(有斐閣)では、「万葉では西空の月には必ず傾くというのを尊重してカタブキヌの訓を採る」として「月傾きぬ」としてあったものを、伊藤博(一九九五)『万葉集全注』(集英社)では、以下のように「月西渡る」としている。
「『東の野にはかぎろひ立つ』に対しては、原文『月西渡』の文字にそのまま則してツキニシワタルと訓ずる方が適切であろう。『西渡る』は、月や日の移る表現として漢詩文に多用される『西○』(西流・西傾・西帰など)を意識したものらしい」
- 日本語学Q&A
(問)
古典文法で、「射る」はヤ行上一段活用だと学びましたが、上一段活用は納得できました。しかし、活用が「い・い・いる・いる・いれ・いよ」となり、ア行でもよいと思いますが、どうしてヤ行なのでしょうか。
(解答)
これは、あくまでも推測というレベルで行っている問題です。つまり、ア行かヤ行であるなら、文脈を見るということになります。「弓矢を射る」という使い方をします。つまり、「ゆみやをいる」という「ヤ行」で説明すれば統一できるというわけです。そのため、「射る」は「ヤ行」にしているわけです。