藤原定家と日本語学

藤原定家

1.藤原定家(1162-1241)

藤原定家は、「ふじわらのさだいえ」が正式名称ですが、歌学や書道の世界では尊敬するときには音読みする習慣があるので、「ふじわらのていか」と呼ぶことが多く行われてきました。また、「姓+の+名」にする所属の「の」を入れる習慣が鎌倉時代までは強いので、「ふじわらていか」ではなく、「ふじわらのていか」と呼ぶことが多いのです。鎌倉時代前期の代表的な歌人で、生涯で4000首ほど残っています。その歌風は、華麗妖艶と言われます。和歌集としては『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』の編纂、『拾遺(しゅうい)愚(ぐ)草(そう)』があり、歌論書としては『近代(きんだい)秀歌(しゅうか)』『詠歌(えいか)大概(たいがい)』、漢文日記の『明月記(めいげつき)』などがあります。和歌の注釈書としては、『顕註(けんちゅう)密(みっ)勘(かん)』があります。「註」と「注」の違いは、ことばでやさしく説明する意味のときは「註」、固い土に水をかけて解きほぐす意味のときには「注」の文字を使用します。また、『古今和歌集』『伊勢物語』『更級日記』『土佐日記』の校訂書写を行い、古典文学作品を後世に伝えた功績は大きいとされています。

【日本語学の業績】

日本語学での業績としては、仮名遣いを発音に応じて書き分けたという業績があります。藤原定家の頃には、実際の発音と仮名との対応関係が崩れてきていました。そこで、藤原定家は『下官集(げかんしゅう)』という書写の心得の中で、発音の高い(上声)の「ヲ」には「を」、発音の低い(平声)の「オ」には「お」の仮名を当て、「え・へ・ゑ」と「ひ・ゐ・い」の文字については、「しろたへ」「すゑ」古い文献をもとに、単語ごとに基準を示しました。これを「定家仮名遣い」と呼び、行阿(ぎょうあ)が増補した『仮名文字遣』を通じて普及していきました。