小西甚一の漢文私観

小西甚一の漢文についての学習参考書はないが、小西甚一(1966)には、漢文好きであったが、能勢朝次の意向で国文科に回されたことや、江戸時代後期の訓読が、徂徠学派の影響及び漢学者のギルド化によるとして以下のように批判している。

漢文教育が株屋仲間でジリ貧と称する様相を濃くしてゆくのは、要するに、漢学者諸公が18世紀の亡霊につかれているからであって、この亡霊を追っ払うことが、さしあたっての急務だと思う。かさねて言う。なぜ一八世紀の日本の漢学だけに執着しなくてはならないのか。シナは世界のシナであり、悠久三千年のシナなのである。

また、研究書で有名な『文鏡秘府論考 研究篇上』の序に以下のように記されている。

漢文化に対する理解が浅薄であるとき、純粋に日本的なるものを正しく把握できるかどうか疑はしい。独りでは自身の姿を視ることができず、他にしみるものが有つてこそ、始めて真にみづからを理解するのである。・・〈中略〉・・寧ろ、真の日本的なものを完成するため、みづからに無いものを培はうとするのである。そこに新しい世界性も展けるのではなからうか。

このように、漢文への造詣の深さを持っていることを考えると、漢文の学習参考書がないのが残念である。

小西甚一(一九四八)『文鏡秘府論考 研究篇上』大八洲出版

小西甚一(一九六六)「漢文私見」『国文学 言語と文芸』四五(大修館書店)