リベラルアーツ

1.リベラルアーツ(教養)・・教養の歴史と教養学部・・

現在では、教養学部リベラルアーツ学部)は、2000年前後の改革で、東京大学埼玉大学・秋田国際教養大学放送大学くらいにしか設置されておらず、たいていの大学では、大学1・2年生の科目で総合科目・一般教養科目の名称で教養課程が置かれている程度になっています。では本来、教養とは何でしょうか。

教養(リバラルアーツ)の歴史を辿ると、西洋に遡ります。リベラルとは「自由」、アーツとは「技術・学問・芸術」を意味します。総合すると、「人間を自由にする学問」という意味になります。西洋には、ギリシア・ローマの時代以来、「リベラルアーツ」という概念があります。西欧の特徴は、教会の外側に世俗の学問が発達したことです。その学問は、医学、数学(幾何学)、法学、哲学です。また、聖書の翻訳が行われましたが、ドイツ語、フランス語、ドイツ語は世俗語とされたため、西欧の伝統校ではギリシア語とラテン語を教えていました。

リベラルアーツとは、ギリシア・ローマに源流を持ち、ヨーロッパの大学で学問の基本だとみなされた7科目のことを指します。これは、一人前に人間が備えておくべき教養のことで、「算術」「幾何」「天文学」「音楽」「文法学」「修辞学」「論理学」の7つの分野から成り立ちます。人間を奴隷ではなく、自由人にする7つの学問という、もともとの意味合いで、「自由7科」とも言われています。リベラルアーツは、19世紀から20世紀のまで、このリベラルアーツを必ず教えることになっていました。今日でもヨーロッパやアメリカでは受け継がれており、ヨーロッパの人々が、「広く、ある程度深い知識」を見につけているのは、リベラルアーツの伝統に即していると考えられます。

 池上彰さん(東京工業大学特任教授)は、「現代の教養とは自分自身を知ることである」として、現代の自由7科として以下のものをあげています。

 

現代のリベラルアーツ「現代の自由7科」・・池上彰・・

1.宗教 2.宇宙 3.人類の旅路 4.人間と病気

5.経済学 6.歴史 7.日本と日本人

 

 これらを見ると、自分自身を知るための考察に力点が置かれていると言え、アイデンティティの確立に役立つという印象を受けます。

 

2.資格取得とリベラルアーツ

近年、ビジネス教育の一環としての資格取得に興味を示すケースが増えてきています。資格試験の勉強は、追い込んでいるので〆切効果で本気で勉強できる、資格取得の勉強で話題が増える、などのメリットがあります。主に仕事で必要である資格取得、趣味や興味のある分野での資格取得とがあります。

文学部であれば、教員免許、日本語教育能力検定試験、司書教諭などは仕事で必要になる資格取得になるかもしれませんし、食品衛生責任者管、ビジネスメンタルヘルスメネジメント検定Ⅱ種・Ⅲ種も、それに関連したものであると言えます。

現代のビジネススキルとして、本田健さん(税理士・作家)は以下の項目をあげています。

 

ビジネス教養スキル「人生12科目」・・本田健・・

1.健康 2.人間関係 3.心理学 4.発想法
5.時間管理 6.人脈術 7.金銭管理 8.ビジネス
9.目標達成術 10.整理整頓術 11.速読術 12.情報処理術

 

これらを見ると、情報処理、人間関係コミュニケーション能力、健康、大局的な人生設計など現実に即したものを習得していくことの大切さを説いたものと考えることができます。

 

3.学びのスタイル

授業のスタイルとして、対話型としてプラトン型、講義型としてアリストテレス型というものがあります。対話型とは、教える側と学ぶ側とが対話形式で進めるものです。東洋でも儒教の祖である孔子も、このスタイルでした。現在のゼミや演習、アクティヴラーニングなどもこの形式に該当すると考えられます。それに対してアリストテレス型は、黒板を背にして一斉授業の講義形式を行った最初として知られています。日本の近世でも演習形式と講義形式とが併用されていましたが、本居宣長は講義形式が中心であったようです。

筆授(ひつじゅ)と面授(めんじゅ)ということばがあります。筆授は、本で学ぶことです。これに対して面授は、実際の講義や演習で学ぶ形式です。このように、本での学びと授業・演習での学びが重要であると言えます。他に、書物の学問と耳学問ということばもあります。耳学問は、個人的に勉強会・座談会・研究会などの仲間との話の中から情報を得ていくという方法です。私自身も、土曜日・日曜日を中心に開催されている研究会(zoom開催も含)などのディスカッションでは、いろいろな話を聞くことができて刺激されることが多くあります。

 

4.複眼的思考と失敗学

苅谷剛彦さんの『複眼的思考』と畑山洋太郎さんの『失敗学』は、示唆に富んだものです。一つのテーマのものでも、いくつかの異なる視点で書かれたものを読み比べることが複眼的思考であり、失敗と考えずに、その都度修正を施していき、フィードバックするというのが失敗学の基本です。これは、学びにおいても基本といえます。たとえば、同じ項目でも異なる専門的な辞典で読み比べると、視点が異なることがわかりますし、発表などでコメントをもらうことで、修正しフィードバックできます。このように物事の基本を示しているので、学問分野だけではなく、ビジネスの世界でもこの二つの考え方は重要です。

 

5.高校での学びと大学・大学院での学びの比較・・学問の三分野・・

高校に限らず、小学校から中学校といった学校での授業はすべてまとめて「科目」と呼ばれています。

「国語」「数学」「英語」「理科」「社会」に始まり、高校では理科や社会がさらに細分化され、理科は物理・化学・生物・地学など、社会は世界史・日本史・地理・倫理・政治経済などになっています。

しかし、大学には「科目」はありません。あるのはそう、「学問」です。人文科学・社会科学・自然科学という大きく3つのカテゴリーに区分されています。心理学や認知科学のように学際型で横断している科目もありますが、主に以下のような科目が所属するとされています。

 

a.人文科学は、哲学・人類学・言語学・文学・宗教学など

b.社会科学は、政治学社会学・経済学・歴史学・地理学など

c.自然科学は、数学、生物学、物理学、地球科学、化学など

 

学問が共通して持つ特徴としては、「問題意識」「真理の探求」「創造性」の3つがあげられます。この3つが大学で求められるものです。

第一の問題意識についてですが、テストといった答えありきの問題を「解く」のではなく、大学では「自ら」が問題を設定する必要が優先されるからです。その自分で疑問に思った点を調べていくということが重要になります。

第二の真理の探求についてですが、ここでいう「真理」とは、本質をつかむような方向性を追究していくことを示します。哲学とは何か、という問いに対して「真理の探究」というように回答することがよくありますが、そのことを示しています。

第三に創造性についてですが、先行研究を踏まえた上で、新たな側面を見出したり、新しい技術を生み出したりする必要があります。

このように大学の学びは主体的に調べて考えていくことに価値があります。これらを踏まえたうえで、卒業論文に取り組むとよいと思います。

 

6.哲学・・ものの考え方・・

研究をするときに、物事の根本的な考え方を学ぶときの参考になるのが哲学です。中でも、データ分析を行う演繹法と、論理的に組み立てる帰納法は補完的によく使われます。哲学の主なトピックとしては、「存在論」「認識論」「言語論」「行為論」があげられます。「存在論」は客観というものを認めるかどうかという「実在」の有無に関連するので、日本語学の場合のモダリティの扱いに影響してくることが多いものです。つまり、人間の視点が介在するという意味では、本来的な客観は存在しないという立場に立つと、客観という用語が抹殺され、主観、共同主観(間主観)という捉え方になります。私が哲学の重要性を痛感したのは、研究会のときに、客観を認めない日本語学の研究者の方とのディスカッションのときでした。あまり深く考えずに客観という用語を使用していたために、主観した認めない研究者の方の論法が「事態把握」という捉え方をしており、ディスカッションが機能しなくなってしまいました。それ以来、岩波文庫の青版・黒版や中央公論社の世界の名著シリーズの哲学書を読み、哲学者の研究会にも参加するようにしたおかげで、哲学的思考のディスカッションは得意になりました。哲学の教養は、はやめに勉強しておくとよいと思います。

 真理の探究と哲学という意味で、個人的に興味のあるものがあります。それは『世界哲学史』と『哲学と宗教全史』です。『世界哲学史』は、東洋哲学の他に西洋哲学にも造詣の深い中島隆博さん(中国哲学者)の企画による、ちくま新書のシリーズで西洋哲学と東洋哲学とを網羅するもので話題になっています。中島隆博さんは特別講義でも、世界哲学の必要性を力説している方です。

それに対して、『哲学と宗教全史』は、ビジネス書として書かれたもので、広く社会人に読まれているベストセラーです。この著者の出口治明さん(立命館アジア太平洋大学学長)が、この『哲学と宗教全史』のコメントを公表しており、その内容が示唆的ですので、以下に掲載します。

 

哲学とは・・出口治明・・
「世界のすべてを考える学問」

 このような時代に、哲学や宗教は力になってくれるのでしょうか。新しい令和の時代を迎えた今、そのことについて原点に立ち戻って考えてみたいと思います。あるとき、哲学者になった僕の友人に、「なぜ哲学を専攻したのか」と尋ねたところ、彼は「世界のすべてを考える学問という点に惹かれた」と答えました。現代の学問は微に入り細を穿(うが)ち、あまりにもタコツボ化しているように思われます。世界をトータルに理解する必要性はますます高まっています。僕は歴史が大好きですが、人類の悠久の歴史を紐解いてみると、世界を丸ごと理解しようとチャレンジした無数の哲学者がいたことに気づかされます。同じような意味で、病(やまい)や老い、死などについて恐れ戦(おのの)く人々を丸ごと救おうとした宗教家もたくさんいました。『哲学と宗教全史』では、世界を丸ごと把握し、苦しんでいる世界中の人々を丸ごと救おうとした偉大な先達たちの思想や事績を、丸ごと皆さんに紹介したいと思っています。皆さんが世界を丸ごと理解しようとするときの参考になれば、著者としてこれほど嬉しいことはありません。歴史的事実として、哲学と宗教は「不即不離」の関係一方において、次のようにも考えました。さまざまなビジネスの世界で、仕事のヒントを与えてくれたり、仕事が行き詰まったときに新鮮な発想をもたらしてくれるのは、専門分野の知識やデータよりも、異質な世界の歴史や出来事であることが多いという事実を。この観点に立てば、人類の知の葛藤から生み出された哲学や宗教を学ぶことは、日常のビジネスの世界にとっても、有益となるのではないかと思うのです。『哲学と宗教全史』を執筆した目的の一つには、そのことも含まれています。哲学や宗教は、まだまだ人間の知の泉の一つであると思うのです。皆さんは、「哲学と宗教はかなり異なるのではないか」あるいは「哲学だけでいいのではないか」などと思われるかもしれません。この問いに対する答えは簡単です。イブン・スィーナー、トマス・アクィナス、カントなどの偉大な哲学者はすべて哲学と宗教の関係を紐解くことに多大の精力を注いできました。歴史的事実として、哲学と宗教は不即不離の関係にあるのです。